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江戸時代中期〜明治時代末期

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​上村松園「母子」(部分)

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年代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結い方

 

 

 

 

 

 

特徴

江戸時代中期初め頃から明治末期頃まで

両輪髷(両手とも云われる)は、御殿女中の下げ上げ(元は公家の下げ下(さげしたじ))が変化したものと云われる。

初めは根で纏めた髪を下へ曲げて根に戻し、毛先を笄に巻きつけたものであったが、後に仮髮の「横輪」と「橋」が加わった。

後期には「笄差し」という厚紙の筒が用いられる結い方もあった。(江戸では笄差しは使われなかった)

 

髱・鬢を作り、根に髪を纏めたら、白の丈長をかけ、笄を元結いで括る。根から三寸程の間を細い油つけで三か所ほど巻き、髷を下へ曲げて毛先を二分し、笄に千鳥掛けに巻き付ける。油つけの輪を笄にかけ(横輪)、油つけの橋を渡し、髷と橋をいち止めで止める。

 

京坂の町家の妻女の代表的な髪型。結婚当初は先笄に結うが、懐妊すると眉を剃り落とし、髪を両輪にする習慣であった。

先笄と形がよく似ているが、先笄は根のところから髷を上には折り曲げるのに対して、両手は下に折り曲げる。

 

江戸時代後期の風俗等を記した「守貞漫稿」(喜田川守貞 著)によると、「自髪の堅輪、仮髪の横輪、縦横二輪相累す、故に両輪と云」とあり、輪が二つあるところから両輪と呼ばれるようになった。また、同書には既婚女性の髪型は、愛知県の岡崎から西は両輪、静岡県の吉田から東は丸髷、その中間では両方の髷が見られたとも記されている。

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