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二代目瀬川菊之丞の鴎髱

NHK大河ドラマ「べらぼう」に、平賀源内の亡き恋人として、回想シーンに瀬川菊之丞が登場しました。

『瀬川菊之丞』は江戸歌舞伎の名跡で、今回名前が挙がったのは二代目 瀬川菊之丞。

当代一の美貌と美しい踊りや所作で一世を風靡した名女形です。


菊之丞は大変な人気役者である一方、ファッションリーダーとしても名を馳せました。

彼が舞台で着た衣装の色は、彼の俳名の『路考(ろこう)』に因み「路考茶」と呼ばれ大流行。

他にも「路考結び」「路考櫛」「路考鬢」「路考髷」など、帯結びや髪型にその名前が付けられれ、江戸中の女性が真似をしたと伝わります。



◆「路考茶」とは

 明和3年に「八百屋お七」の下女お杉役で着た、鶯色がかった茶色。

 明和期を代表する色と言われ、鈴木晴信の浮世絵にも多く描かれました。



鈴木春信「風流四季歌仙 二月・水辺梅」
鈴木春信「風流四季歌仙 二月・水辺梅」

◆路考娘(ろこうむすめ)

 明和(1764-1711)頃、美人のことを「路考娘」と呼んだそうです。

「小町娘」みたいな感じですね。菊之丞の人気のほどが伺えます。

 女性の帯にあしらわれている模様は、菊之丞の定紋である結綿(ゆいわた)。



鈴木晴信「浮世寄花 路考娘」
鈴木晴信「浮世寄花 路考娘」

◆路考結び

  菊之丞が舞台で結んだ帯の結び方が流行し、「路考結び」と呼ばれました。


「都風俗化粧伝」より
「都風俗化粧伝」より


◆路考櫛

「丸に七五三の結綿紋」は二代目瀬川菊之丞の定紋。


結綿紋蒔絵櫛(路考櫛)/出典 文化遺産オンライン
結綿紋蒔絵櫛(路考櫛)/出典 文化遺産オンライン

さて、前置きが長くなりましたが、今回書きたいのは菊之丞のヘアスタイルについてです。

「路考鬢(ろこうびん)」「路考髷(ろこうまげ)」という名称は伝わっていますが、実際はどんな形だったのでしょうか。


今回のドラマでは、源内が女性たちの「路考髷」を見て、彼を偲んでいました。

ドラマの中では小さめの勝山?片手髷?という感じの髷になっていましたが…

二代目瀬川菊之丞の役者絵はたくさん残っていますが、髷は色々で、どれが流行した「路考髷」か分からないのですね。

(役によって髪型は変わりますから当然ですよね)



◆二代目瀬川菊之丞 役者絵いろいろ



1枚目 勝川春章「二代目市川八百 の茜屋半七 二代目瀬川菊之丞の笠谷三勝」

2枚目 鳥居清満「二代目瀬川菊之丞の勘平女ぼうお軽」

3枚目 鳥居清満「八百屋下女おすぎ 瀬川菊之丞」

4枚目 一筆斎文調「二代目瀬川菊之丞の小山田太郎妹お綿」

5枚目 三代目歌川豊國「役者絵『古今俳優似顏大全』より『瀬川家系譜 執着獅子二代目瀬川菊之丞」




菊之丞が活躍したのは、大河ドラマ「べらぼう」の少し前になりますが、その頃の人気ナンバーワン浮世絵師といえば、鈴木春信。

彼ももちろん菊之丞を描いています。

春信の絵には、太くやや短い髷がよく描かれ、現在では「春信風島田」と呼ばれています。

当時の人気美人を描いた「お仙と菊之丞とお藤」の三人もこの太い髷です。



鈴木春信「お仙と菊之丞とお藤」
鈴木春信「お仙と菊之丞とお藤」


こちらは鈴木春信の肉筆画の瀬川菊之丞。

一(いち/髷尻)は見えていますが、笄(こうがい)の花飾りと前差しで髷の前部分が見えない…

でも多分、晴信風の太い島田でしょうね。

この形の髷は明和五年(1768)刊の北尾重政の「絵本吾妻の花」にもよく出てきます。

やはり、これが「路考髷」なのかな、と思います。



鈴木春信 肉筆画「瀬川菊之丞」(部分)
鈴木春信 肉筆画「瀬川菊之丞」(部分)



当時の鬢(びん)ですが、鬢としては独立しておらず、髱(つと/たぼ)と一体化して繋がっていました。

この絵で見る限りでは、「路考鬢(ろこうびん)」とは、耳の上をぐっと高く持ち上げる結い方かと思います。

よく似た系統の鬢に、「中撫鬢(なかなでびん)」「勝山鬢」などがありますが、それらよりもサイドの髪を引き上げてげているように見えます。

かなり立体的ですね。



それにしても、この時代の特徴は、やはり後ろにすっきりと伸びた鴎髱(かもめづと)や鶺鴒髱(せきれいづと)です。

女性たちの髪は鬢から綺麗な曲線を描き、後ろへ上がっています。

浮世絵にすると立体感が失われてわかりにくいのですが、結ってみるとラインがとても美しい!

人気があったのも頷けます。


下図は「絵本吾妻の花」(北尾重政 1768年刊)から、お盆の吉原の様子。

遊女たちも皆、鴎髱や鶺鴒髱です。


( 北尾重政は大河ドラマ「べらぼう」第3回「千客万来『一目千本』」に登場していました。

 重政が蔦重にこの絵を見せて「一枚絵ならまだしも本にすると似たような絵が…」と言っていましたね。)


北尾重政「絵本吾妻の花」より
北尾重政「絵本吾妻の花」より



長い間流行した鴎髱・鶺鴒髱でしたが、菊之丞が亡くなった安永二年(1773)を過ぎると、急速に人気が衰えていきます。

そして宝暦頃(1751-1763)から上方で流行していた、「小さい髱」と鬢を横に張り出す「灯籠鬢(とうろうびん)」が、江戸にも広がっていきました。


「後ろに伸びた髱(つと)の時代」から「横に張り出した鬢(びん)の時代」への移行は、日本髪の歴史の中でも特筆すべき大きな変化でした。

この後、女性の髪は「灯籠鬢」を始めとする「横に張り出す鬢」の大流行を迎えます。

江戸において「髱の時代」は一人の人気役者の死とともに終焉を迎えたのでした。





 

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