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鈴木春信

「柳屋見立三美人」鈴木春信 東京国立博物館蔵

中期半ばは長く反り返った鴎髱が流行

後半は横に張り出した燈籠鬢が一世を風靡

 江戸時代中期に入っても、人々の間では後ろに長く垂れた髱が流行していました。しかし、いくらお洒落のためとはいえ、髱があまりに長いと襟が髪の油で汚れて不便です。享保元年刊「世間娘容気」には「後は花色の紬の首巻して、衣裏(えり)のよごれぬ用心し…」とあり、当時の女性が襟を汚さないよう苦労していた様子が窺えます。このような不便を解消するため考案されたのが「髱さし」でした。この便利な道具の登場で、首筋に添って垂れ下がっていた髱を自由自在に反り返らせることができるようになり、新しい髱の流行となっていきした。この髷の代表的なものが「鴎髱(かもめづと)」です。この髱さしを使う結髪は明和・安永頃まで続きました。

 

 中期後半の宝暦(1751-1764)頃になると、「鬢さし」(京坂では鬢はり)が考案され、それまでは髱に添えられるような形だった鬢が、横に広がりを見せるようになります。それにつれて髱は短くなり、長い髱の流行は収束していきました。

この頃、京の祇園新地から広まり大流行したのが「燈籠鬢」です。これは鬢の毛を透かして横に大きく張り出したもので、上方で一世を風靡しました。天明(1781-1789)頃には江戸にも伝わり、後期の寛政末〜享和頃まで大流行しました。

 

 髱・鬢はこれらの他にも多くの形があり、髷との組み合わせで多種多様な髪型を楽しむことができました。前髪は中期を通して、根に引きつけた形にほぼ統一されていました。

 

 この時代の特徴は、前期に比べ華美になり結髪の手法も複雑になったこと。小道具や飾りも増え、「女の風俗は天明開けてより、今ほど美麗なることなし。あたまの差物は弁慶を欺き、水引丈長は地蔵祭の盛物よりすさまじ。」と書かれたほどでした。このように結髪が技巧的になり、髪型の流行が目まぐるしく変わっていったことなどから、素人の手だけでは思うように結えなくなり、中期後半に入り、ついに女髪結が登場しました。

中期初めの髱

懐月堂度繁

鴎髱(かもめづと)

かもめづと

燈籠鬢(とうろうびん)

灯籠鬢

中期の兵庫髷

江戸時代中期に入っても、兵庫髷は地味な髪型として扱われ、年配者や女工といった人に細々と結われるくらいでした。

ほぼ廃れたと思われた兵庫髷ですが、享保(1716-1736)頃、江戸の遊女たちの間で、根が低く髷の小さい「根下がり兵庫」が流行。遊里において新しい兵庫髷の型が登場します。

中期の後半になると、兵庫髷を横に倒した「横兵庫」、髷が二つある「両兵庫」などが登場します。この両兵庫が次第に大きくなり、後期の花魁の立兵庫へと発展していきました。

 

<中期の兵庫髷>

横兵庫、両兵庫、結び立兵庫、うつお兵庫、根下り兵庫

懐月堂安度

根下り兵庫「花魁と御供」より

勝川春章

両兵庫「青楼美人合姿鏡」より

中期の島田髷

「島田髷」は種類がたいへん多く、中期を代表する髷といえます。結われる人の身分や職業、年代などによって色々な形がありましたが、特に若い女性に好まれ、後世まで愛された髪型でした。

若衆髷から発展した髷であるため、初期から前期の島田髷は全体に太さのある髷でしたが、中期に入り男性の細髷流行のの影響を受けて、細く長い髷に変化していきました。

この当時は、島田髷の中央、根元に平元結(丈長)を結ぶのが一般的でした。

 

<中期の島田髷>

投島田、小万島田(奴島田・高島田)、辰松島田、文金島田、腰折れ島田、きりすみ島田、小枝島田、かしまや島田、さえだ島田、島田兵庫、結び島田、玉川島田 など

当世かもじ雛形 

投げ島田「当世かもじ雛形」より

当世かもじ雛形

かしまや島田「当世かもじ雛形」より

中期の勝山髷 

前期は盛んに結われた勝山髷も中期に入り下火になりますが、遊女を中心に結い続けられていました。また、遊女以外にも、武家の侍女や芸人などの髪として結われていました。一般女性の間では、あまり定着していなかったようです。
初めは輪が丸く髷が細かった勝山ですが、中期も後半になると、次第に輪の形が平たく、髷の幅が広く変化していきます。遊里では次第に結われなくなり、一部の武家や民間の女性に結われる様になりました。その後、遊里ではは完全に廃れてしまいましたが、「丸髷」へと名前を変えて一般に広がり、江戸後期には既婚者の代表的な髷となっていきました。

北尾重政

やや幅広の勝山「絵本吾妻の花」より

勝川春章

幅広の勝山「青楼美人合姿鏡」より

中期の笄髷

前期の笄髷は種類も少なく単純な構造でしたが、中期に入ると「先笄」「両手」「片手」など、複雑な形を持つ髷が発展しました。この時期は弓状に反り返った笄と真っすぐな棒状の笄が多く使われたようです。
中期半ば以降はさらに多くの形を生み出し、技巧的な結い方をするようになります。髪の輪を付けたり、橋と呼ばれる仮髪を掛けたりと、大変複雑なものになっていきました。
*髪の輪:紙の土台を輪にして、その表面に鬢付け油で髪を張り付けたもの。
*橋:別名「掛前髪」「付前髪」と言われるもの。元は前髪の毛先を髷の上へ橋のように渡したものを指したと思われます。後に付け毛で代用する様になりました。明和から安永の頃に始まったと考えられています。

 

<中期の笄髷>
先笄、両手(両輪)、片手髷、竹の節、うつお先笄、すじ笄髷、かせ髷、釣船髷、丸髷、めがね など

百人女郎品定

先笄「百人女郎品定」より

当世かもじ雛形

中期末の先笄「当世かもじ雛形」より

その他の髪型

●ばい髷
根に簪を縦に挿し、それに髪を螺旋状に巻き付けた髷。巻貝に似ているため「貝髷」と名がついたようです。主に上方の遊女の髪でしたが、明治に入って「賠蝶」と名を変え、一般にも広く結われました。
●櫛巻き
根を結ばず束ねた髪に櫛を巻き付け、残りの毛を根に巻いたもの。伝法肌の女性に好まれ、簡単に結えることから一般女性にもよく結われました。
●空蝉髷
遊女の髪のようですが、詳細は不明。「当世かもじ雛形」に島田に似た髷の絵があります。
●丸髷
前期の丸髷は享保頃まで流行した後に廃れたようで、中期の「丸髷」は前期のものとは形が異なっています。こちらの丸髷は一を結んだ後、笄の左右の下をくぐらせるように巻き付けたもので、笄髷に分類されます。前期末にから庶民の間で流行しましたが、こちらも中期末に姿を消しました。
●しのぶ髷
髻を立てて、余った髪を二分して根の両側に輪にして下げ、根に白元結を掛け、根元に笄をさすという奇抜な髪型。中期に広く流行したようです。
●ごたいづけ
梳髪の一種。本来の「五体付」は公家に結われた男髷ですが、形の相似から名付けられたと思われます。一束にした髪を前に折り返し、毛先を根元に巻付け、髷を前へ倒し簪を横から挿して前頭部に留めます。
●その他/浮舟、釣船、すずめ、めがね、むすび髪、片手髷、もみじ髷、吹寄せ など

当世かもじ雛形

ばい髷「当世かもじ雛形」より

当世かもじ雛形

櫛巻「当世かもじ雛形」より

当世かもじ雛形

空蝉髷「当世かもじ雛形」より

西川祐信

しのぶ髷「絵本浅香山」より

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