「国史大辞典挿書見本」女官装束着用図 明治41年
宮中および公家の垂髪と結髪
江戸に幕府がおかれた265年間、民間女性の間では多様な結髪風俗が生まれましたが、宮中および公家においては室町以来の垂髪を継承し、民間とは一線を画した結髪様式が確立します。宮中の女官は垂髪を常とし、公家女性も垂髪が正装の髪でした。宮中女官の仮結いの髪型からは「笄髷」が誕生し、これは後に形を変え民間で大流行しました。また、公家女性独特の髱である「葵髱」が江戸の武家に伝わり、武家の結髪文化にも影響を及ぼしました。
●江戸時代初期〜中期頃のおすべらかし
この頃の宮中および公家の垂髪は、髪を肩や背中の辺りで緩やかに結ぶ形のもので、「おおすべらかし」または「おすべらかし」といいました。『垂髪とは、すべらかし、さげ髪の事にて、髪の元を結ばず、後へ下げ、長かもじを入れるなり』(「奥女中袖鏡」より)とあるように、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、その長かもじに水引や絵元結などを掛けます。これは宮廷女官や公家の女性の公式の場での髪とされました。髪を長く垂らすために かもじを用いることは室町時代にはすでに始まっていたようで、当時の宮中女官の装束を記した「曇華院殿装束抄」、「大上臈御名之事」に記述が見られます。
女官は宮中では常に「おすべらかし」でしたが、長い下げ髪は不便なため、局など私的な部屋では笄一本で髪を仮結いする「笄髷」が考案されました。
江戸中期頃のおすべらかし「女官装束着用次第」より
「近代女房装束抄」より
●葵髱(あおいづと)
公家・武家の女性の結髪で特徴的なのが、「葵髱(武家は椎茸髱)」と呼ばれる独特な形の髱。鬢と髱が一体化した薄く扁平な髱で、形が葵の葉に似ていることからの命名と言われます。発祥の時期は定かではありませんが、京より下った女中方の葵髱を江戸の御殿女中が真似て、それが「椎茸髱」と呼ばれたという話が「歴世女装考」に見られ、京では江戸前期には結われていたと考えられます。
この髱は独特な形から「椎茸髱」、「長髱」、「割づと」などとも呼ばれました。守貞慢稿(喜田川守貞著 江戸後期)に、「ある人曰く、堂上の割髱(わりづと)は武家風より短く、形相似て背に押し出すと云へり。宝暦頃の形に似たるか。」とあり、武家風とは若干の違いがあったようです。
●笄髷(こうがいまげ)
宮中の女官は「おすべらかし」と定められていましたが、私的な部屋などでは下げ髪を笄に巻き付けて纏めていました。これは笄を抜けばすぐ元の「おすべらかし」に戻せるよう工夫された仮結いの髪型で、民間の笄髷の元になったものです。「下げ下(地)」「下げ上げ」「下髪下」「竹の節」などの種類がありました。これらの結髪方法がいつ始まったかはわかっていませんが、寛文頃の書物に「笄髷」の名が登場することや、山東京山著「歴世女装考」に「元禄中頃にいたり笄髷という髪の風京より起り諸国にうつれり」とあることから、江戸時代の早い時期から行われていたと考えられます。
江戸末期女官風俗(下げ上げ)
「続歴代風俗寫眞大観」(昭和7年発行)より
●御所風
江戸時代前期、民間で流行した「御所風」という髷がありました。結い方ははっきりしませんが、おそらく根結いした下げ髪を折り曲げて輪を作り、丈長を結び、その根元に残りの髪を巻き付けたもので、文字通り御所の女官たちの結髪だったものと思われます。これも簡単に下げ髪に戻せる結髪で、笄髷が考案される前はこのような結い方もあったようです。民間では寛文から享保頃まで結われました。
天和頃の御所風髷
●江戸後期のおすべらかし
江戸時代後期になると、民間の前髪を立てる風俗の影響から、前髪を取り、やや立てて結ぶようになります。若い者は幅広く、歳を取るにつれ幅を狭く取っていたようです。鬢(びん)もまた、「髱裏(つとうら)」と呼ばれる型紙を入れて大きく張らせた形に変化しました。これは民間で一世を風靡した「燈籠鬢」の影響が宮中にまで及んだものと考えられています。
正式なものは『大すべらかし(お大)』といい、前髪は取らず「丸かもじ」という先の丸いかもじを乗せ、平額・釵子などを挿しました。また、お大を簡略化した『中(お中)』、お中よりも小さい髱裏を用いる『おさえづと(おさえ)』、16歳未満の少女が結った『童(わらわ)』がありました。これらの髪型は現在も皇室の女性に引き継がれ、儀式等の折に結われています。
江戸時代後期の大すべらかし(左・右上)
「旧儀装飾十六式図譜」より
「御殿女中」三田村鳶魚著 より
長かもじ(京都風)
●大すべらかし(お大)
宮廷女官の正装の髪。前髪は作らず、「髱裏(つとうら)」を入れて鬢を左右に大きく張り出し、丸かもじ、長かもじ、髪上げの具(平額・額櫛・釵子)を付けます。長かもじには絵元結、水引、小引裂などをかけました。
●中(お中)
お大より小さい髱裏を用い、前髪を作ります。前髪は若い人は大きく、年が行った人は小さく取りました。元は武家にあった髪風のようで、明治以降は正装時の髪としても用いられました。
●おさえづと(おさえ)
お中よりも小さい髱裏を用い、前髪は作らず後頭部で髪を束ねます。宮中の雑務に当たる女孺が結んだ髪型です。
●童(わらわ)
16歳以下が結う髪型。 髱裏は用いますが、前髪は作らず、かもじも付けません。
●ときさげ
明治に作られた髪型。髱裏を用いず後頭部でひっつめて結びます。
江戸時代宮廷采女風俗 大すべらかし
「続歴代風俗寫眞大観」(昭和7年発行)より
江戸時代宮廷采女風俗 大すべらかし
「続歴代風俗寫眞大観」(昭和7年発行)より
お中「帯の変遷史」(昭和38年発行)より
童(わらわ) 香淳皇后15歳の御写真
●下髪下(さげがみした)
「おすべらかし」にした髪を下げずに後頭部で結んだもの。解けばそのまま元に戻ります。結い方はわかっていませんが、都風俗化粧伝の図が下髪下と言われています。
●下げ下(地)
下げ髪の下地。根に小枕を入れ、一(いち/髷の後部)を島田のようにして髷尻を膨らませ、毛先を右から笄の下にくぐらせ、一の上を横に渡し、左でまた笄の下をくぐらせ左から右に上を渡し、同様に笄を巻いていきます。22〜23歳以上が結う髪型。
●下げ上げ
下げ下とほぼ同じ結い方で、一(いち)に紫の紐をかけたもの。武家から移って来た髪形ですが、武家の下げ上げとは形が違いました。17〜8歳から22〜3歳までの髪型です。
●つぶ髷
女官見習いが結う島田髷。髱は「葵髱」にし、前髪の先を左右に分けて後へ出します。
●竹の節
12〜13歳の下級女官の髪型。島田の先や一(いち)を紫紐で結び、前髪の先を左右に分けて後へ出します。成長すると「つぶ髷」になりました。
下髪下(さげがみした)「都風俗化粧伝」より
お中「都風俗化粧伝」より