水油の油壺と

伽羅の油入りの蛤貝

「女用訓蒙図彙」より

●伽羅の油の歴史

伽羅の油
百人女郎品定

「百人女郎品定」より

​右の髪を結う女性と左のお歯黒をつける女性の間にサネカズラ入れが見える

(*1)

「まんていかとは猪の油の蛮名なり、享保のころまではゐの油をつかいしとみえたり」(「歴世女装考」より)

(*2)

「待賢門院の堀川、上西門院の兵衛、をとゞ日なりけり。夜ふかくなるまでさうし(草子)をみけるにともし火のつきたりけるにあぶらわたをさしたりければ世にかうばしくにほひけるを堀川、ともし火はたき物にこそ似たりけれといひたりければ、兵衛、てうじがしらの香や匂ふらんと付けたり。いとおもしろかりけり」(「今物語」より)

(*3)

「伽羅の油は正保、慶安の頃より京室町町髭の久吉売りはじむ。其後京三条の宇賀 縄手五十嵐 江戸にては芝のせむし喜左衛門うる」(「本朝世事談」より)

(*4)

「むかしは女のきやらの油つくるといふは遊女の外なかりし…」(「世間娘気質」より)

(*5)

「むかしは伽羅の油一生付けざる人多し。付る人もびんのはへ下り又はさかゆき立ていまだのびる人少しづゞ付しなり。女など伽羅油つける事ゆめゆめなし。さるによって伽羅の油売る所湯島天神前に一ヶ所 神田明神前に一ヶ所又亀屋とて一ヶ所 芝にせむしとて一ヶ所 麹町に二ヶ所 牛込に笹屋とて一ヶ所 江戸中六ヶ所ならでは​売所なし。」(「むかしむかし物語」より)

美髪料としての油

 現代でも髪の保護や艶出しのために椿油などが使われていますが、古代の女性たちも髪を艶やかにし、纏まりを良くするため、様々な油を使っていました。その最も古い記録は『日本霊異記』。奈良時代、元興寺で行基が法会を営んだ時、聴衆の中に猪の油を髪に塗った女がいて、その臭いを嫌った行基が外へ出させたとあります。髪に塗る油は植物から取るものが一般的ですが、動物の油も使っていたとは驚きですね。猪の油は江戸時代中期の始め頃まで使われたそうです。(*1)

さねかずら

 油ではありませんが、古代から整髪料としてよく用いられたものに「さねかずら」があります。さねかずらの蔓を水に浸けておくと、粘り気のある汁を出し、これを髪に付けると艶が出て纏まりやすくなるのです。別名「びなんかずら」「美軟石」「とろろかずら」「ふのりかずら」などと呼ばれ、江戸時代中頃まで広く愛用されました。  

 

 髪に油を塗るのに古くから使われたのが、「油綿(あぶらわた)」です。これは油を含ませた綿を油壺に入れたもので、平

さねかずら

安時代から使われていたようです。鎌倉時代の『今物語』に、夜遅くまで草子(そうし)を読んでいたら燈火が消えかかったので油綿を入れたところ、この油綿は丁子の油を用いていたようで、とても良い香りがしたという話が載っています。(*2) 

 江戸時代初期には、椿油や胡麻油、胡桃油、菜種油、枸杞の油など、いろいろなものが髪用に使われていた記録が残っています。これらの液状の油は「水油(みずあぶら)」と呼ばれ、艶出しや髪の保護などのため広く使われました。 江戸時代後期の『守貞漫稿』には「又昔は水油に貴人は胡桃油市民は胡麻油を用ふ」とあり、身分の高い者はてクルミの油を、市井の者は胡麻の油を用いたそうです。因みに、さねかずらのような水溶性のものを「鬢水(びんみず)」と言いました。

伽羅油の誕生

 江戸時代初期の寛永(1624〜1644)の頃、蝋燭の流れたものを油で溶いて松脂、香油などを混ぜた固形の油が作られるようになりました。これが「伽羅の油(きゃらのあぶら)」で、現代の鬢付け油の元のなったものです。この頃は戦国時代の名残で男性は髭(ひげ)を伸ばしていたため、主に髭を整えるために使われていました。通常は自家製ですが、薬種屋に作らせる事もあったようです。

 

 伽羅の油が一般に販売されるようになったのは、正保・慶安(1644-1651)の頃。京都室町の「髭の久吉」が売り出したのが始めです。髭に用いる他、若衆(男色の対象となる少年)や若い男性などが髪を美しく結うために使用しました。(*3)  因みに、伽羅の油の「伽羅」は沈香(香木)のことではなく、上質な商品であることをアピールためのネーミングです。本物の伽羅は入っていませんが、当時は高級品で蛤などの貝殻に詰めて売られてれていました。

 

 明暦(1655〜1657)に入ると、伽羅の油は技巧を凝らした結髪に便利なため、遊女たちに愛用されるようになります。『玉海集』(明暦二年)に「薫れるは伽羅の油か花の露」とあるのは遊女の事を詠んだものでしょう。「花の露」は当時の化粧水です。どちらもさぞや良い香りがしたのでしょうね。(*4)

 

 さて、上方から少し遅れた寛文(1661-1672)頃、江戸でも伽羅の油が売られるようになりました。随筆『我衣』に、麹町で谷島主水という俳優が、日本橋室町では若衆中村数馬が、少し後に浅草で虎屋市之進が店を出し、伽羅の油を売り出したとあります。『昔々物語』によると、寛文頃、江戸には伽羅の油を売る店はまだ六ヶ所しかなかったそうです。(*5)『我衣』には「其頃(そのころ)武士はあぶらつけれども町人百姓は不用  正徳までは蛤貝に一両入三両入曲物(まげもの)に五両入上油一両に付代二十二文極上匂ひ油一両代三十六文黒油四十文此上はなし」とあり、寛文頃の様子が伺えます。(江戸前期の一文=約25円/一両=約37.36g)

 

 一般の女性に広く使われるようになったのは、江戸時代前期終盤の貞享・元禄頃から。中期の享保(1716-1735)に入った頃には、男性の結髪にも使われるようになり、伽羅の油は男女共に無くてはならないものとなりました。 その後、処方や製法が改良されてゆき、女性の髪型をより複雑なものへと進化させていきました。現代でも「鬢付け油(びんつけあぶら)」として、力士や舞妓さんなどに使われています。

 

近世女風俗考 鬢付け油
歴世女装考 伽羅の油

「近世女風俗考より

芝宇田川町花露屋喜左衛門(せむし喜左衛門)の店

「​歴世女装考」より

*伽羅油の作り方/「新知恵の海」(1724)                 「近世女風俗考」より

匂伽羅の油の秘法

唐蝋八両、松脂三両、甘草二両、丁子七分、白檀一両、 茴香四分、肉桂三両、青木香三分、まんていか、胡麻油、 加減してよく煎じつめ、絹の袋にて漉し、麝香、竜脳三分合わせ煉る(蝋に松脂その他をまぜ、香料を加え胡麻油で煉った)

​   

*現代の鬢付け油

木蝋(ハゼの実から作られる天然植物系のロウ)に菜種油、香料などを混ぜ合わせ、練ったものを型に詰めて固める。

鬢付け油

現代の鬢付け油

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