◆髷(まげ)の分類

江戸時代の女性の髷は、大きく分けて四つの系統に分類できます。(これらの分類に属さないものや、二・三の系統が混在するものもあります) 江戸時代初期はごく単純な形でしたが、伽羅の油(後の鬢付け油)の発明、女髪結の登場などで、次第に複雑な形に進化していきました。

兵庫髷 系

(ひょうごまげ)

唐輪髷から進化した形で、頭上に高く輪を作り根で結び、余った髪で根を巻いたもの。はじめは遊女の髪型でしたが、江戸初期にあたる寛永(1624~1644)初年頃には、一般に普及していたと考えられています。 名前の由来は、摂津兵庫の遊女が結い始めたから、または兵庫桶(片手桶)に形が似ているからなど諸説あります。時代が下がるにつれ小型化し地味になり、元禄(1688-1704)頃には廃れたようですが、中期以降、「横兵庫」「両兵庫」などに形を変え、ふたたび遊女を代表する髪型になっていきました。

島田髷 系

(しまだまげ)

遊女が人目を引く手段として、若衆の髪型を真似たことから始まったと言われる髪型。東海道島田宿の遊女が結った事から名付けられたという説が有力ですが、人名由来説や、髪を曲げて元結いで締め束ねる様子「しめたわ」が「しまだ」に変化したという説などがあります。元々は遊女の髪型でしたが、色々な形に進化しながら江戸時代を通じて女性に愛好され、日本髪の代表とも言える髪型になりました。現代の花嫁が結う文金高島田もこの系統に属します。

勝山髷 系

(かつやままげ)

承応・明暦(1652-1658)の頃、元は丹前風呂の湯女であった遊女 勝山が結った髷と言われています。勝山については、同時代の作家 井原西鶴の「好色一代男」にも記述があり、当時、名を馳せた遊女であったことがわかります。武家風の下げ髪を輪にして結び、白の元結をかけて道中をしたところ評判を呼び、遊女の髪として大流行しました。その後、勝山髷は形を変えて「丸髷」と呼ばれるようになり、文化(1804-1817)頃、一般女性の髪型として急速に広まっていきます。幕末には既婚女性の髪として定着し、「丸髷に結う」といえば結婚を意味するほどでした。

笄髷 系

(こうがいまげ)

笄を使って髪を纏める髷の系統。宮中の女官や御殿女中が、長い下げ髪を一時的に笄に巻き付けて仮結いしたことを起源とします。貞享〜元禄(1684-1703)頃、一般女性の間で大流行したようで、元禄9年刊の「女重宝記」には「町風は京も田舎も、島田かうがいわげの二色」との記述が見られます。初期の笄は、近代のものより小さく一方が尖った楊枝のような形で、鯨の髭を使うのが一般的でした。代表的な笄髷の一種である「先笄(さっこう)」は、上方で若い女性の髷として結われ、後期の文化・文政(1804-1829)頃には新婦の髪として定着。江戸の「丸髷」に対して、上方の既婚女性の髷として、近代まで長く愛好されました。

その他の髷

上記の四系統のうち二系統以上が混在したものも多く見られます。 また、鬢(びん)・髱(たぼ)を出さずにまとめた結い方として「梳き髪(すきがみ)」がありました。これは髪を梳いた後や洗髪後、本式に結うまで仮にまとめておくための結髪ですが、その素朴さが伝法肌の女性たちに好まれ、一種の略装として定着しました。櫛巻き、だるまがえし、ごたいづけ、じれった結びなどがこれにあたります。

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