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江戸時代後期〜
上村松園「花嫁」
(部分)
年代
結い方
特徴
江戸時代後期から
高島田は若い未婚女性の髪型で、上流階級で結われることが多かった。中でも最も根の高い「文金高島田」は優雅で上品であることから、御殿勤めの女性や大家の令嬢などに結われた。庶民の花嫁の髪型になったのは明治以降。現代の文金高島田は御殿女中の針打ち髷(文金高島田の一種)が形を変えて広まったと言われる。
根に根かもじを入れる。髱、鬢、前髪を作り、必要ならば根巻き、先添えの毛を添え、髷の中に芯を入れて高さのある島田髷を作る。髷の前部を櫛で広げ、髷の中に紺紙を貼り形を整える。
高島田の中で最も根(髻/もとどり)が高く上品な髷とされる。
「文金」とは、元文元年(1736年/八代将軍吉宗の頃)に改鋳された小判「文字金」(元文小判)の略称。文字金は質が悪く、当時インフレだったこともあり、物価が急激に高騰した。当時の世相を受け、物価の「値上がり」と「根上がりの髷」とをかけて、根を上向きに結う「文金風」という男髷が登場。通人に好まれた。
江戸時代後期になり、高さのある女髷の高島田が昔の文金風だということで「文金高島田」と呼ばれた。
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