お湯を沸かして、シャンプーを手作り…

歌川国貞(三代歌川豊国)

「江戸名所百人美女 今川はし」

洗髪は楽しみ、でも大変だった!

 現代では、ほとんどの家にお風呂があり、いつでも気軽に髪を洗えます。でも、今のように頻繁に髪を洗うようになったのは昭和に入ってから。明治・大正時代は月に数回、各家庭に内風呂が普及した1960年代で週に1〜2回程度でした。

 古代では、沐浴や洗髪は体を清めるという宗教的な意味合いを持ち、庶民が汚れを落とすために髪を洗うことはほとんどありませんでした。

 平安時代になると、洗髪は年に一度くらい。『枕草子』に「心ときめきするもの」(心がときめくもの)として「頭洗ひ化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる」(髪を洗って化粧をして、良い香りが焚き染められた着物を着る)とあります。長い髪を洗うのは大変だったでしょうが、やはり気持ちの良いもの。清少納言も洗髪を楽しみにしていたのでしょう。

 

​西川 祐信画「絵本十寸鏡」(1748年)より

「髪は頻(しきりに)あらふをよしとす 熱湯(あつきゆ)は髪をあかくしてよろしからず、程よく水を加えてもちゆべき也」

(*1)『守貞謾稿』(喜田川守貞著、1837年に起稿)

「…江戸の婦女は毎月一、二度必ず髪を洗ひて、垢を去り臭気を除く、夏月には特に屢々(しばしば)沐して之を除く。蓋近年匂油を用ひることを好まず。又更に髪に香をたき染ること久しく廃て之を聞かざるなり。…江戸も御殿女中は髪を洗ふこと稀也。京坂の婦女も之を洗ふ者甚だ稀。…大凡(おおよそ)髪を洗はざる婦女は唐櫛を以って精く梳り垢を去り、しかる後匂油を用ひて臭気を防ぐ、…。」

洗髪は楽しみ、でも大変!

 さて、江戸時代の人はどのように髪を洗っていたのでしょうか。

 江戸時代中期の『絵本十寸鏡』(えほんますかがみ/1748年)に、縁側で盥(たらい)にお湯を入れて髪を洗う女性が描かれています(右図)。手伝っているのは母親でしょうか。姉妹らしき女性が湯桶を持って立っています。当時、庶民の家に内風呂はなく、このように縁側や庭で洗っていました。今の銭湯にあたる「湯屋」はありましたが、初期の湯屋は蒸し風呂。後に浴槽に浸かるようになってもお湯をふんだんに使えるわけではなく、洗髪はできなかったようです。絵には「頻(しきりに)あらふをよしとす」とありますが、油の付いた長い髪を洗うのは大変。江戸初期は年に数回、江戸中期でも月に1〜2回程度だったと言われています。

 

 江戸時代後期の風俗を記した『守貞謾稿』(喜田川守貞著、1837年に起稿)には、「江戸の女性は必ず月に1、2度髪を洗い、夏は特に度々洗髪した。しかし、江戸でも御殿女中は髪を洗うことが稀で、京坂の女性もあまり髪を洗わず、櫛で梳いて垢を取り、匂油を用いた」とあります。(*1)洗髪の習慣には地域差があったようですね。江戸は砂埃がひどく、長い時間外にいると砂だらけになってしまったとか。そのため江戸の人は洗髪回数が多かったのかもしれません。

江戸のシャンプーは海藻&うどん粉ミックス?

​江戸の女性は月に一・二回 京坂ではあまり洗わない

 1600年代の終わり頃、蝋燭の流れた蝋、松脂、香油などを混ぜた「伽羅の油(きゃらのあぶら)」が広く使われるようになりました。それまでは胡桃油や胡麻油、さねかずらの汁などを少量つける程度だったので、泔(ゆする/米のとぎ水)などで洗えばよかったようですが(*2)、粘度の高い「伽羅の油」は泔ではほとんど落ちません。では何を使ったかというと、布海苔などを使った手作りシャンプー。文化10年(1813)に出版された美容本『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん)の「髪を洗う伝」に、当時の洗髪方法が詳しく書かれています。それによると、「ふのり」を熱いお湯で溶かし、そこに「うどんのこ」を投入。よく混ぜたものを髪に揉み込み、熱いお湯ですすぎ、最後に水で洗えば、油も臭いもさっぱりと落ちて艶も出たそうです。 (*3)

(*2) 『延喜式』(927年)に洗髪料として「ゆする」「さいかち」「そう豆」の名があげられています。「さいかち」「そう豆」は どちらも豆科の植物でサポニンを含み洗浄力があります。『源氏物語』にも「ゆする」と「木灰」が登場。『本草和名』(918年)には 「あかざの灰」「さいかち」があげられています。

(*3)「都風俗化粧伝」髪を洗う伝 

髪を洗うことは、髪のつやを出だし、かみの脂(あか)ねばりを去らんがためなれば、たびたび洗うてよし。夏の日は汗と油の腐りたるにて、はなはだあしき臭いすれば、嗜みて、ことにたびたび洗い、悪しき臭いを去るべきこととなり。仕様は

  ふのり 

  うどんのこ

ふのりをさきて、あつき湯につけ置き、箸にてまわせば、よく解くるなり。

その中へ、うどんの粉をいれ、掻き混ぜ、熱きうちに髪へよくよくすり付け、また、手にすくいためて髪をよくよくもめば、髪につきたる油、ことごとく取れる也。そののち、熱き湯にて髪を洗えば、よくとけ、さばけるなり。その次に、髪を水にて洗いてのち、良く干し、髪を結えば、色をよくし、光沢(つや)を出だし、あしきにおいを去る也。

「都風俗化粧伝」(1813年)より

​ 「ふのり(布海苔・布糊)」とは海藻の一種。刺身のつまや、織物の仕上げの糊付けなどによく使われます。「うどんのこ」はうどんを作る小麦粉。長い髪にしっかり付けるには、それなりに量が必要だったと思われます。作り置きができないので、洗髪の度に作っていたのでしょう。その他に灰汁(あく/灰を水に浸した上澄み液)や灰、粘土、椿の油粕などが使われていました。

 これらの材料でどの程度油が落ちたのか気になるところですが、明治時代に洗髪石鹸が登場するまで、定番の洗髪剤として使われ続けました。洗髪剤を用意したり、お湯を沸かしたり、寒い時期は乾かすのも一苦労。当時の女性にとって洗髪はなかなか大変な作業だったよです。

髪を洗う日が決まっていた遊郭の女性たち

 江戸時代前期の遊里に関する解説書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』(1678年頃の成立)に、遊女の洗髪について書かれた箇所があります。それによると、京・江戸は毎月14日と晦日(つごもり/月の最終日)、大坂は15日と晦日。中には

月三回の店もあったとか。(*4)

 一方、『色道大鏡』から100年以上後に書かれた洒落本『取組手鑑(とりくみてかがみ)』(1793年)。こちらは江戸 吉原の洗髪日の様子が書かれています。「かみあらい日は、二十七なり、…庭のおおがまでたくゆへ、二かい、しんとしているゆへ、ま木のはねる音きこへるなり、…」 

この頃の吉原では毎月27日が洗髪日だったようです。一度に大勢の遊女が髪を洗うので、庭に大釜を出して湯を沸かし、薪のはねる音が二階まで聞こえたということです。

勝川春潮

(*4)『色道大鏡』(藤本箕山著、1678年序)

「沐浴の事、沐浴とは髪あらひ湯あぶる事也。傾城(けいせい/遊女のこと)の髪あらひ日、毎月十四・つごもり、両度づゞなり。又家によりて、一月に三ヶ度と定むる所も有。京・江戸は、十五日物日たるにより、十四日をさす。小の月は二十九日、大なればつごもり也。大坂は十五日物日ならざるにより、十五日と晦日也。」

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